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東京地方裁判所 平成3年(ワ)17486号 判決

原告

吉村広子

右法定代理人親権者父

吉村邦基

右法定代理人親権者母

吉村まり子

原告

吉村邦基

吉村まり子

右三名訴訟代理人弁護士

高橋融

滝沢香

鈴木利廣

被告

学校法人東海大学

右代表者理事

松前達郎

右訴訟代理人弁護士

松崎勝一

石井正行

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの請求

一  被告は、原告吉村広子に対し、金一億八一〇二万〇六五七円及びこれに対する平成四年一月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告吉村邦基に対し、金五五〇万円及びこれに対する平成四年一月二三田から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告吉村まり子に対し、金五五〇万円及びこれに対する平成四年一月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  判断の基礎となる事実

1  原告吉村広子(以下「原告広子」という。)は、昭和六三年六月九日に、原告吉村邦基(以下「原告邦基」という。)を父、原告吉村まり子(以下「原告まり子」という。)を母として出生した者である。

被告は、神奈川県伊勢原市下粕屋一四三番地において東海大学医学部附属病院(以下「被告病院」という。)を開設している。

2  原告広子には、出生時から口唇裂及び口蓋裂の先天性障害があったところ、同月二二日から被告病院形成外科長田教授の診察を受け、「体重が六キログラムをこえるのを待って手術をする。」との説明を受けた。原告広子は、同年一一月三〇日、被告病院に手術のため入院し、同年一二月二日、軟口蓋裂縫合、唇裂・外鼻形成術の手術を受け、術後管理のため引き続き被告病院小児病棟に入院していた。

3  同月六日、原告広子からNGチューブが抜管され、右側鼻にガーゼ状のもの(モールドバン)が入れられ、以後、原告広子は哺乳瓶でミルクを摂取するようになった。被告病院の看護助手近藤が、同月七日一八時ころ、原告広子に授乳した時、原告広子の哺乳はいまひとつで、あまり進んでいなかった。

4  被告病院の吉岡看護士が、同日一八時三〇分ころ、原告広子がうつ伏せで顔を右に向け、顔の左側半分を下にした状態で呼吸停止に陥っているのを発見した。同人から連絡を受けた小児科の篠原医師は、マスクによる人工呼吸に引き続いて気管内挿管処置を行い、原告広子は一命をとりとめた(以下「本件事故」という。)。

5  本件事故後、原告広子は視覚機能、嚥下機能及び運動機能が同年齢の乳児に比べて著しく劣り、常に介護を要する状態に陥った。原告広子は、四肢が麻痺して自由に動くことができず、寝返りもできない。また、本件事故時からほとんど成長がなく、満三歳を過ぎた時点で体重・身長ともに一歳時程度のままである。視覚機能は光がわかる程度で物の注視ができず、手指も握力がなく、物の保持ができない状態であり、嚥下機能にも障害が残っている。(以上の事実は、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨により認めることができる。)

二  原告らの主張

1  被告の診療契約上の債務の不履行又は過失

(1) うつ伏せ寝による窒息に基づく呼吸停止

被告病院は、口蓋裂の手術後は、裂の閉鎖によって、口腔咽頭の気道形態が狭くなる上、本件事故前日の抜糸後は、右側鼻がガーゼ状のもの(モールドバン)で塞がれ、乳児の呼吸方法の主体である鼻呼吸が阻害されていたのであるから、原告広子の看護上、呼吸状態をよく観察し気道閉塞によって呼吸停止の状態にならないよう気道管理に十分な注意を払うべきであった。しかし、被告病院の吉岡看護士又は近藤看護助手は原告広子をうつ伏せ寝にして放置し、原告広子を窒息させて呼吸停止に陥らせた。

(2) 呼吸停止の発見の遅れ

原告広子は病棟内で要観察患者と指定され、かつ、本件事故当時、NGチューブ抜管の翌日で抜管後の哺乳状況は本件事故直前まで不良であった。にもかかわらず、被告病院は看護に関する専門教育を受けたことのない無資格の近藤看護助手に授乳させ、さらに正看護士になってから経験八か月に過ぎない吉岡看護士に術後の要観察患者である原告広子及び重症の患者を担当させた。近藤看護助手は、原告広子の呼吸状態に何ら配慮せずに授乳を行い、引き継ぎも十分に行わなかった。そして、吉岡看護士は、本件事故直前の一八時ころ、原告広子の哺乳が進まず近藤看護助手が二〇ccで授乳を断念したのだから、その後の原告広子の体位の変化や呼吸状態等の十分な観察をすべきであるのにこれを怠り、至近距離にいながら、うつぶせになってからの呼吸停止状態に気付かず、発見が遅れた。この結果、原告広子は、脳に不可逆的障害を残す低酸素状態に陥った。

2  原告らの損害

原告広子はうつ伏せ寝による窒息を原因として呼吸停止状態に陥り、その結果、脳の低酸素状態を原因として脳萎縮が進行し、前記一の5記載の後遺症が生じた。

(1) 原告広子の損害

① 付添看護費 一〇八〇万円

月三〇万円で事故後三年間に要した費用は右のとおりである。

② 将来の付添看護費 六二〇三万一七五〇円

社団法人日本臨床看護家政協会の平成三年四月改定によるホームヘルパーの日額基本給一日当たり七六三〇円を基準にして、日額六〇〇〇円とすると、年額二一九万円になる。これに三歳から六七歳までの労働能力喪失期間六四年に該当する新ホフマン係数28.325を乗じると、次のとおりである。

6000×365×28.325=62,031,750

③ 逸失利益 六七七三万二四八四円

平成二年の男女平均賃金が年間四一二万五二〇〇円であり、これに労働能力喪失期間六七歳までの新ホフマン係数29.0224から満一八歳に達するまでの年数一八年に対応する新ホフマン係数12.6032を引いた係数16.4192を乗じ、さらに後遺症による労働能力喪失は一〇〇パーセントを下らないので、労働能力喪失率一〇〇パーセントを乗じると、次のとおりである。

4,125,200×(29.0224−12.6032)×100%=67,732,484

④ 後遺症による慰謝料 二四〇〇万円

本件事実関係のもとでは、右額が相当である。

以上を合計すると、一億六四五六万四二三四円になる。

(2) 原告邦基及び原告まり子の損害

本件事実関係のもとでは、慰謝料として各五〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用

本件訴訟追行にあたり、原告らはそれぞれ請求金額の一割を訴訟代理人に対する弁護士費用として支払うことを約した。よって、原告広子について一六四五万六四二三円、原告邦基及び原告まり子について各五〇万円が損害となる。

3  よって原告らは被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求として、原告広子は、一億八一〇二万〇六五七円及びこれに対する平成四年一月二三日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告邦基は、五五〇万円及びこれに対する平成四年一月二三日から支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告まり子は、五五〇万円及びこれに対する平成四年一月二三日から支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

三  被告の主張

1  原告広子の呼吸停止について

口蓋裂手術後の気道閉塞のおそれは、手術後一ないし二日後ならともかく、術後五日経過し、NGチューブを抜管してかえって呼吸がしやすくなった本件では考えられない。また、右側鼻にガーゼ状のもの(モールドバン)が入っているからといって、鼻呼吸が阻害されることはなく、被告病院が原告広子をうつ伏せに寝かせた事実もない。原告広子は、本件事故当時、抑制管を装着していたが、抑制管を装着していても乳幼児が自力で寝返りすることは可能である。

原告広子の呼吸停止は乳幼児突然死症候群(SIDS)によるものではないかと推測される。

2  発見の遅れについて

被告病院は、基準看護の規定に従った十分な管理体制をとっており、原告広子の担当者についても何ら管理上の問題はない。また、本件事故直前に二〇ccで哺乳を断念したことから直ちにその後の原告広子の状態について十分な観察をすべきことにはならない。

吉岡看護士が一八時二〇分に巡視を行った際には、何ら異常が認められなかった。被告病院は、一八時三〇分、原告広子が呼吸停止状態に陥っているのを発見すると直ちに救命措置を施した。原告広子の呼吸が、その後回復したことからしても、長時間にわたって呼吸が停止していたとは考えられない。

3  呼吸停止と後遺症との因果関係について

呼吸停止と後遺症との医学的因果関係は不明である。本件事故後の脳のCTスキャンによる検査結果によれば、原告広子には脳萎縮の存在が認められ、右脳萎縮は本件事故以前から存在したものである。

四  被告の主張に対する原告らの反論

1  原告広子の呼吸停止について

原告広子は、本件事故当時の発育の状況から見て、寝返りを打つことができなかった状態にあり、また、抑制管で肘関節が覆われて動きが制限されていたことから、自力でうつ伏せ寝になったとは考えられない。

吉岡看護士は一八時三〇分までは原告広子からわずかに乳児用ベッドを二つ隔てた距離にいて体を原告広子の方に向けていたというのであるから、それまで原告広子が仰向けに寝ていたのであれば、うつ伏せになったことに気付かないということは甚だ不自然であり、吉岡看護士又は近藤看護助手が既に原告広子をうつ伏せに寝かせていたために、原告広子がうつ伏せになっていることに注意を払わなかったとしか考えられない。

2  乳幼児突然死症候群の多くは睡眠中に発生しているが、一八時に原告広子が啼泣していたことからすると、本件が睡眠中に無呼吸に陥ったことによる乳幼児突然死症候群であるとは考えがたい。また、乳幼児突然死症候群の発生関連因子として、母親が若年であること、妊娠間隔が短いこと、未熟児であること等が指摘されているが、原告広子にはいずれもあてはまらない。

3  呼吸停止と後遺症との因果関係について

脳萎縮の進行過程については、脳の低酸素状態を原因とする脳萎縮が、脳水腫をもたらし、この脳水腫が更に脳萎縮をもたらすというように、徐々に進行したと考えられ、原告広子に本件事故以前から先天性の脳障害があったわけではない。

五  争点

1  原告広子の呼吸停止は、被告病院が原告広子をうつぶせに寝かせたことによる窒息によって生じたものか。

2  被告病院に原告広子の呼吸停止状態の発見が送れた過失があるか。

3  損害の発生及びその額

第三  争点に対する判断

一  原告広子の呼吸停止は、被告病院が原告広子をうつぶせに寝かせたことによる窒息によって生じたものか。

1  被告病院が原告広子をうつぶせに寝かせたか。

被告病院が、一二月七日一八時三〇分、呼吸停止に陥っている原告広子を発見した時に、原告広子がうつ伏せで顔を右に向け、顔の左側半分を下にした状態であったことは、当事者間に争いがない。原告らは、原告広子が右のように呼吸停止に陥った原因について、被告病院の吉岡看護士又は近藤看護助手が原告広子をうつ伏せ寝に寝かせたことによるものであると主張する。そこで、右主張の当否について検討する。

(一) 看護助手である証人近藤は、次のとおり供述している。

近藤看護助手は、一二月七日一七時五五分ころ、乳児室で原告広子に哺乳させたが、一〇分ほど授乳してもあまり飲まなかったので、抱いて背中を叩いて排気(ゲップ)をさせた後、ベッドに仰向けに寝かせたところ、原告広子は手や足を動かして遊んでいた。近藤看護助手は、その後まもなく乳児室を出て、当日のナースリーダーである黒光看護婦に原告広子があまりミルクを飲まないのでベッドに戻した旨申し送った。

なお、被告病院では、乳児を寝かせる場合には、仰向けに寝かせるよう看護助手に指示しており、特別の必要上看護婦が指示する場合以外は、乳児をうつ伏せに寝かせることはなく、近藤看護助手の約一一年の小児科病棟での勤務経験の中で、そのようにうつ伏せに寝かせるよう指示を受けたことは一度もない。

(二) 次に、看護士である証人吉岡は、次のとおり供述している。

吉岡看護士は、一二月七日一八時ころ、近藤看護助手とともに乳児室におり、原告広子のベッドから三つ目のベッドの重症の乳児の看護をしていたが、一八時二〇分に原告広子のベッドの脇に行き、様子を見たところ、上向きで手足を動かして声を出しており、同人は原告広子の顔の表情を見ることができた。同人は原告広子にミルクをあげるつもりで近づいたが、先の重症の乳児がかなり暴れているのが気になって、授乳を止めてその重症の乳児の所に戻り、看護にあたった。右重症の乳児の看護にあたる間に、原告広子のベッドを一回だけちらっと見たが、その時は、一八時二〇分の状態と同じく上を向いて手足を動かしていた。

その後、右重症の乳児の処置を終え、原告広子に授乳しようとして一八時三〇分に原告広子のベッドの脇に行ったところ、原告広子はうつ伏せになっていた。その際の顔の位置は、左側が下になり、頬がベッドに接しているような状態で、鼻と口はベッドに接しておらず、ミルクを吐いた様子はなかった。

(三) 右(一)及び(二)の各供述のとおりだとすれば、原告は、一二月七日一八時二〇分から一八時三〇分までの間に自力でうつ伏せになったことになる。そこで、右各供述の信用性を揺るがせる事情があるかどうかについて検討する。

(1) まず、原告らは、原告広子の本件事故当時の発育の状況から見て、寝返りを打つことができなかった状態にあり、また、抑制管で肘関節が覆われて動きが制限されていたことから、自力でうつ伏せ寝になったとは考えられない旨主張する。

しかし、乙第一八号証の一及び原告邦基の本人尋問の結果によれば、原告広子の首が生後五か月で座ったことが認められ、また、証人篠原の証言によれば、原告広子は本件事故当時生後約六か月であり、寝返りをうってもおかしくない上、同証人の証言及び乙第二二号証によれば、抑制管は顔に手が届かないようにするためのものであり、抑制管をはめていても寝返りをうつことに特に支障はないことが認められる。したがって、原告広子をうつ伏せ寝にしなくても原告広子が寝返りをうって本件事故発見時のうつ伏せ寝状態になる可能性が認められる。したがって、原告広子の本件事故当時の発育状態及び原告広子が抑制管をはめていた事実のみから、証人近藤及び証人吉岡の前記供述部分の信用性を揺るがせることはできない。

原告邦基の本人尋問の結果中には、原告広子が寝返りを打つのを見たことがない旨の供述部分があるが、これによって原告広子が本件事故当時寝返りを打った可能性が否定されるものではない。また、証人近藤は、原告ら代理人の尋問に答えて、原告邦基が原告広子が寝返りを打つのを見たことがないと述べていたことを認める趣旨の供述をしているが、これは、同証人が原告邦基にそのような発言があったことを確認しているのみで、同証人が原告邦基と同一の見解を有することを述べる趣旨ではない。

(2) 次に、原告らは、吉岡看護士の乳児室における位置関係から見て、仮に原告広子が一八時二〇分から三〇分までの間に寝返りを打ったのであれば、そのことに気がつかないはずはないと主張する。

しかし、証人吉岡の前記供述によれば、同人は、その間、重症の乳児の処置にあたっており、一回だけちらっと原告広子の方を見たにすぎないというのであり、そのような処置に従事していた場合には、原告広子の寝返りに気づかないこともありうることである。したがって、原告らの右主張も、証人吉岡の前記供述の信用性を否定するに足りない。

(3) 看護記録(乙第一八号証の二)によれば、「一八時 ミルク二〇cc哺乳哺乳いまひとつ。哺泣して哺乳すすまないため、残一八〇cc後に哺乳させることにす。(エードさんからの情報)」「一八時三〇分 呼吸停止発見。以後、経過観察用紙へ」波線の後、「一八時二〇分 巡視 ミルクの残り、授乳しようとするが他児の吸引、酸素流量等確認のため、授乳せず、そばをはなれる。仰臥位で、手足動かし、ひとり遊びしている。」との記載があり、一八時二〇分の記載は後に付加されたものであることが読み取れる。

この点に関し、証人吉岡は、看護記録は時間があればその都度記載するのが原則であるが、勤務時間中は様々な業務を行うことから記録する時間がなく、後で記載したり次の勤務帯への申し送りが終わってから記載したりすることが多いこと、本看護記録の記載は、本件事故に関する処置を終えた同日二三時過ぎころから、当日の勤務を始めた一六時の欄から順に看護記録記載のためのメモを参照しながら記載したこと、そして、同人が緊急事態に直面したのが初めてだったので、翌日昼過ぎころ、リーダーの黒光看護婦に指示を仰ぎ、自分で確認したこと及びやったことを全て記録に残すよう指導を受け、後から付加する形で一八時二〇分の項目を記載した旨供述する。

そして、証人吉岡の前記供述によれば、同大は、一八時二〇分に原告広子にミルクをあげようとしたが重症の乳児が気になって途中でやめ、その重症の乳児の処置にあたったというのであり、同人が供述する右行動態様からすると、同人が、一八時二〇分の行動の記載を当初は省略したが、リーダーの指示によって、改めて記載したことに特に不自然な点はなく、右追加記載部分が全く事実に反する作為であるとは考えがたい。

したがって、看護記録への右追加記載の事実も、証人近藤及び証人吉岡の前記供述部分の信用性を否定する材料とはならない。

(4) そして、他に証人近藤及び証人吉岡の前記供述部分の信用性を否定する事実は見当たらないから、右供述部分は真実をのべたものと認めるのが相当である。

(四) 以上の認定事実によれば、原告広子はうつ伏せ寝の状態で発見されたものであるが、その一事をもって、被告病院が原告広子をうつ伏せに寝かせたことを推認することはできず、他に被告病院が原告広子をうつ伏せに寝かせたことを認めるに足りる証拠はないものというべきである。

2  原告広子の呼吸停止の原因は窒息によるものか。

原告らは、原告広子の呼吸停止の原因について、うつ伏せ寝による窒息である旨主張するが、被告病院が原告広子をうつ伏せに寝かせたことを認めるに足りる証拠がないことは、前記1認定のとおりである。そこで、さらに、原告広子の呼吸停止の原因が窒息によるものであるかどうかについて検討する。

(一) 乙第一〇号証の一及び第一一号証並びに証人篠原の証言によれば、原告広子の用いていたベッドは体がベッドにもぐり込むようなふわふわ弾む柔らかいベッドではなく、枕は使わず、代わりに頭の下にタオルをたたんでいたこと、生後六か月になると、首を上げる作業ができる(このことは、抑制管を付けた状態でも同様にいえること)ので、うつ伏せであったことから直ちに窒息に結びつけることは困難であること、生後六か月児になると、離乳食を誤えんする以外の窒息の可能性は小さいこと、新生児であっても、うつ伏せにすると、何とか呼吸をしようとして、必ず顔を動かすのであり、片面を向いていれば窒息することはありえないものであるところ、原告広子は、本件事故直後に発見された当時、うつ伏せで、顔を右に向け、顔の左側半分を下にした状態であったので、この状態で窒息するとは考えられないこと、このことは右の鼻にモールドバンが詰まっていても同様であることが認められる。また、乙第一九号証によれば、本件事故後の一二月三一日に行われたリハビリにおいて、原告広子は、本件事故後でさえも、うつぶせにして顔を左側に向ける姿勢にすると、左手をかく様な動きが見られ背を反っていたこと、顔を真下に向けてうつぶせにすると、右か左かどちらかに顔を向け、やはり背を反らしていたことが認められる。

(二) 乙第一〇号証の二及び証人篠原の証言によれば、本件事故の一日後である一二月八日、原告広子の胸部レントゲン撮影が行われているが、そのレントゲン写真には、ミルク等が肺に入ったことによる肺炎(誤えん性の肺炎)の所見は認められていない。また、証人吉岡の証言によれば、原告広子が呼吸停止の状態で発見された当時、原告広子のベッドには、ミルクその他のものを吐いた痕跡はなかったことが認められる。これらの事実によれば、原告広子の呼吸停止が誤えんによる気道閉塞であるとは認められない。

(三) 右(一)及び(二)の認定判断によれば、原告広子の呼吸停止が窒息によって生じたものであるということもできない。

3  原告広子の呼吸停止の原因に関する原告らの主張の当否

右1及び2の認定判断によれば、原告広子の呼吸停止が原告広子をうつ伏せに寝かせたことによる窒息によって生じたものであるとする原告らの主張は、その裏付けを欠くものといわざるをえない。

二  被告病院に原告広子の呼吸停止状態の発見が遅れた過失があるか。

1  原告広子のNGチューブ抜管後から本件事故前の哺乳状況について、乙第一八号証の二及び証人吉岡の証言によれば、一二月六日一〇時三〇分にNGチューブを抜管したこと、同日一二時、哺乳力不良で吸てつが弱めで、誤飲がなかったこと、一五時、哺乳がスムーズにいかなかったこと、一八時、大きめのクロスカットで全量授乳できたこと、二一時、哺乳が良好であったこと、翌七日一〇時、吸てつが弱めだが、時間をおくとまた哺乳したこと、一二時、最初は吸てつが力強かったが、時間がたつにつれ弱くなり、哺乳が進まなくなったこと、一五時、やわらかめで乳首の穴の大きいものに代えると、哺乳が良好になったこと、一八時、哺乳がいまひとつであったこと、NGチューブ抜管後にミルクの飲みが悪かったのは、唇裂の手術後で口がふさがって環境が異なったからであり、全身状態には特に問題がなかったこと、授乳後の吐き気や嘔吐は存しなかったことが認められる。

2  次に、原告広子の観察状況について、前記一の1で述べたとおり、近藤看護助手が、一八時ころ、原告広子に授乳して排気させてからベッドに仰向けで寝かせたこと、吉岡看護士が、一八時二〇分ころ、原告広子の体位が仰向けであることを確認したこと、同人が、同三〇分ころ、原告広子に授乳しようとして、原告広子が呼吸停止状態に陥っているのを発見したことが認められる。

3  乙第一九号証及び証人篠原の証言によれば、被告病院は、原告広子の呼吸停止発見後、直ちに心臓マッサージを開始し、一八時三三分には気管内挿管をして人工呼吸が施行され、顔の蒼白色が徐々に改善されたこと、同三八分には谷野医師が聴診して心音を聴取し、自発的に心臓が動いていることが確認されたことが認められる。

4  右認定事実に基づいて考えると、原告広子は一二月二日に軟口蓋裂縫合等の手術を受けたが、本件事故のあった一二月七日当時、同様の手術を受けた乳児と違った特別の措置を要する状況にあったものとは認めがたく、また、原告広子の授乳は進まなかったものの、授乳後に何らかの問題が生じていたわけではなく、被告病院が授乳後の状態を特に注意して観察すべき特別の事情があったとは認めがたい。さらに、被告病院が原告広子を観察した頻度及び呼吸停止発見後にとった措置並びに原告広子の呼吸が被告病院の救命措置によって回復したことを併せ考えると、被告病院の原告広子に対する看護の態勢について過失があったものということはできない。

5  原告らは近藤看護助手及び吉岡看護士の資格及びキャリアを問題とするが、右資格ないしキャリアと本件事故との間に相当因果関係があったことを肯認する事情はないから、これを被告病院の過失の一要素としてとらえる主張は、当を得ていない。

三  鑑定を採用した経過について

1  前記認定のとおり、本件においては、原告らが主張する過失を証拠上認定することができず、一方、原告らの主張する過失の内容は、原告広子の看護に係るものであり、医師の措置に関する過失の有無が問題となる事例に比較して、医師である鑑定人の補助がなければ理解困難な度合いが低いものということができる。そのため、本件については、医師を鑑定人に選任して専門知識の補充をすることなく判決をすることも十分に考えられた。

しかし、原告広子に生じた障害が極めて重大なものであることにかんがみ、当裁判所は、必要と考える人証の取調べを終え、原告らが主張する過失が証拠上認定できないと考えた後ではあったが、あえて原告ら申請の鑑定を採用することとした。

2  鑑定を実施するには、いくつかの配慮が必要であった。

(一) まず、鑑定人の選任についてであるが、原告らは本件事故が被告病院の看護上の過失により発生したと主張するのに対し、被告は乳幼児突然死症候群と考えられると主張していることから、原告らは、鑑定人の候補者として、厚生省乳幼児突然死症候群研究班のメンバーである医師を推薦した。原告らの主張からすれば、本件事故についての鑑定人に乳幼児突然死症候群の研究者を選任する必然性はないと考えられるが、前記1のように、この鑑定は、原告らが本件事故の原因について理解を深めることを大きな目的とすることから、当裁判所としては、本件鑑定人には、原告らが推薦する医師を選任するのが適当であろうと考えた。

しかし、原告ら推薦の各医師は、厚生省の研究班のメンバーとして多忙であること等から、鑑定の受諾に至らなかった。そこで、当裁判所は、これらの医師から適当と考える医師を推薦してもらい、順次その医師と接触したが、受諾に至らず、最後に推薦されたのが本件鑑定人である坂上正道医師であった。

本件鑑定人は、厚生省乳幼児突然死症候群研究班の班長を務めた医師であり、幼児突然死症候群研究の専門家であり、先の鑑定人選任の目的に沿う適任者であると考えられた。

(二)  次に、鑑定の方法であるが、一般に、鑑定については、鑑定書が提出されているが、本件においては、原告らが本件事故の原因について理解を深めることを大きな目的とすることから、鑑定書の提出を受けるよりも、むしろ口頭で鑑定結果を述べてもらい、双方代理人からその説明について率直な質問をしてもらうのがふさわしいと考え、当裁判所からその旨の提案をした。これに対して原告らは賛意を表したが、被告は通常の書面による鑑定を強く望んだ。しかし、当裁判所から被告に対し、本件鑑定の趣旨を説明し、口頭鑑定への理解をえることができたものである。

なお、これは偶然であるが、本件鑑定人は、乳幼児突然死症候群の文献が一六〇〇を上回ることから、これを正確に引用しつつ鑑定書を作成すると極めて長期間の調査を要し、鑑定を引き受けるのに困難を感ずる旨述べられ、当裁判所の考えと結果において一致することになった。

(三) 鑑定費用については、原告らの鑑定申請に基づく鑑定であったため、原告らが鑑定費用を予納するのが当然であるが、原告らから被告に対し、鑑定費用の半額を被告も負担してもらいたい旨の申入れがなされ、実質上折半して負担することとなった。ただし、予納名義は原告らとなっている。

3  このような経過を経て、平成六年六月一五日、本件鑑定人に鑑定を命じ、記録の写しを交付して検討を依頼した上、同年九月二一日、法廷において口頭で鑑定の結果を述べてもらうこととした。当日、鑑定人は、当初の口頭鑑定の依頼の趣旨に則って、書面を読み上げる方法によることなく、記憶に基づいて口頭で鑑定結果を述べた。

四  鑑定の内容について

1  睡眠時の体動について

原告らは、原告広子が睡眠時に寝返りをうったと考えられるとする鑑定人の説明が非科学的であると主張する(平成六年一一月二九日付け原告ら準備書面三)。そこで右主張の当否について検討する。

鑑定の結果及び睡眠に関する一般的学術書(井上昌二郎著「ヒトはなぜ眠るのか」、日本睡眠学会編「睡眠学ハンドブック」等)によれば、人の睡眠については、次のようにいうことができる(本件鑑定人も、本件訴訟関係者が睡眠に関する一般的文献で知識を補充することを期待している(鑑定人の口頭鑑定の速記録七丁裏)。)。

(一) レム睡眠とノンレム睡眠の区別及び特徴

睡眠は、レム睡眠とノンレム睡眠に分類でき、ノンレム睡眠は、脳波をもとに、さらに、三段階に分類される(四段階ととらえる考え方もある。)。レム睡眠時には、急速眼球運動や、骨格筋の無緊張と突発的痙攣が起こるという特徴があるため、レム睡眠は、「動睡眠」と呼ばれている。これに対してノンレム睡眠時には、交感神経系が抑制され、副交感神経系が優位となり、心拍数、血圧、呼吸数等が低下するため、ノンレム睡眠は、「静睡眠」と呼ばれている。

成人の一般的な睡眠の場合には、浅いノンレム睡眠の第一段階(シータ波、低振幅複合波)から始まり、浅いノンレム睡眠の第二段階(シグマ波、紡錘波)に移行し、続いて、深いノンレム睡眠(デルタ波、高振幅徐波)となる。深いノンレム睡眠は、いわゆる「ぐっすり眠っている」状態である。深いノンレム睡眠が一定時間継続した後に、レム睡眠が生ずる。

人の睡眠は、浅いノンレム睡眠、深いノンレム睡眠及びレム睡眠を一つのサイクルとして(成人にあっては、一サイクル九〇分程度)、睡眠時間中、繰り返されており、目覚めの時期が近づくにつれて、徐々にノンレム睡眠の時間が短くなり、レム睡眠の時間が長くなってくる。

(二) 睡眠時の体の動き(ボディームーブメント・イン・スリープ)

睡眠時の体の動きについては、ボディムーブメント・イン・スリープとして、新しい研究対象になっているが、浅いノンレム睡眠に入る際に、体をローリングさせる運動を含む激しい動きがあることが観察されている。また、レム睡眠時には、突発的に筋肉の動きが活発になることが観察されている。これに対して、深いノンレム睡眠時には、ぐっすり眠っている状態となり、体の動きはほとんど見られない。レム睡眠時には、眼球が急速に動いたり、骨格筋が突発的に痙攣する等の動きが起こる。

(三) 乳幼児の睡眠の特徴

胎児ないし乳児の睡眠は、成人の睡眠とは大きく異なっている。胎児に睡眠の現象が確認されるようになった後の睡眠は、動睡眠と静睡眠及びそのどちらともいえない不定睡眠から成り立ち、新生児から月齢が経つにしたがって、動睡眠はレム睡眠に、静睡眠はノンレム睡眠に移行し、二歳以上になると、脳波で、はっきりとレム睡眠とノンレム睡眠の区別がつくようになり、不定睡眠は見られなくなる。

生後まもない乳児は、一回の眠りは短いが、昼夜の区別なく眠り、一日の睡眠時間は極めて長い。睡眠の多くはレム睡眠(動睡眠)であり、また、レム睡眠とノンレム睡眠(静睡眠)とが、極めて短時間のうちに交互に入れ代わる。生後四か月程度の時期から、徐々に、ノンレム睡眠からレム睡眠に移行するサイクルが長くなり、昼夜の区別ができ始め、ノンレム睡眠の比率が高まってくる。幼児期を過ぎ、五歳から十歳ころまでの間に、浅いノンレム睡眠、深いノンレム睡眠、レム睡眠の一サイクルが、成人と同じ九〇分になってくる。

眠りに就くのに要する時間は、乳児期には極めて短く、成長するにしたがってやや長くなってくるものの、幼児期においても、成人と比べると、眠りに就くのに要する時間は極めて短い。

(四) 乳幼児の睡眠時の体の動き

小児神経の専門家も加わった睡眠時の体動の国際シンポジウムにおいても、浅い静睡眠(ノンレム睡眠)の段階で、体をローリングさせる運動があることが確認されており、生後六か月であった本件事故当時の原告広子の月齢でも、そのような動きをすることは十分に考えられる状況にあった。

なお、本件事故当時、原告広子は抑制管を付けていたが、証人吉岡の証言によれば、抑制管を付けている乳児であっても、寝返りを打つことは可能であり、抑制管を付けているからといって、一概に寝返りができないものということはできないものであることが認められ、本件事故当時、原告広子が抑制管を付けていた事実も、鑑定人の鑑定結果と矛盾しない。

このように認められるのであり、鑑定人の鑑定結果は、睡眠学に関する一般的文献により知識を補いつつすなおに耳を傾けると、一貫した合理的な説明として理解できる。

原告らは、「深い睡眠」がレム睡眠であり、「浅い睡眠」がノンレム睡眠であると理解した上、右理解に基づいて組み立てた原告らの主張に反する鑑定人の意見について、「鑑定人自身が、睡眠時の体の動きについて、充分に理解をしていないことを示している(平成六年一一月二九日付け原告ら準備書面七頁)」とか、「睡眠中の体の動きについても、深い睡眠であるレム睡眠から睡眠にはいった直後である浅い睡眠であるノンレム睡眠のしかも初期のファーストステージに鑑定意見を変えてきたのである(同一三頁)」などと非難しているが、このような主張は、当を得たものとはいいがたい。

2  原告広子の呼吸停止の原因

鑑定人は、原告広子の呼吸停止の原因について、うつ伏せ寝による気道閉塞ではなく、乳幼児突然死症候群(SIDS)の不全型(ALTE)であると結論付けている。

原告らは、この点について、まず、被告病院の看護士または看護助手が原告広子をうつ伏せ寝にしたことを前提として、うつ伏せ寝が原告広子の乳幼児突然死症候群を引き起こした可能性がある旨主張する(平成六年一一月二九日付け原告ら準備書面三)。しかし、前記一認定のとおり、被告病院の看護士又は看護助手が原告広子をうつ伏せ寝にしたことを認めるに足りる証拠はないのであるから、原告らの右主張は、事実に基づかない主張であり、採用することができない。

また、原告らは、乳幼児突然死症候群の発生の原因がうつ伏せ寝である可能性があるとして、仮に原告広子の呼吸停止の原因が乳幼児突然死症候群であるとしても、うつ伏せ寝にした被告病院の措置に過失があると主張しており、このような考え方を採らない鑑定人の姿勢を非難しているが、右主張は、現時点の医学上の研究によっては原因を解明するに至っていない乳幼児突然死症候群について、そのできる限りの発生防止のため、発生に寄与しているのではないかと考えられる要因をできる限り排除しようとする予防医学上の提言と、乳幼児突然死症候群の発生について病院の措置に過失があるかどうかの議論とを混同するものであり、採用することができない。

次に原告らは、胃食道逆流がALTEの原因である可能性があることを前提として、胃食道逆流の可能性を排除する看護上の配慮がなされなかったことを被告病院の過失ととらえる主張をしており、このような考え方を採らない鑑定人の姿勢を非難しているが、右主張も、現時点の医学上の研究によっては原因を解明するに至っていない乳幼児突然死症候群について、そのできる限りの発生防止のため、発生に寄与しているのではないかと考えられる要因をできる限り排除しようとする予防医学上の提言と、乳幼児突然死症候群の発生について病院の措置に過失があるかどうかの議論とを混同するものであり、採用することができない。

3  鑑定人の訴訟資料の検討

前記三で述べたとおり、当裁判所は、原告らの立証の状況も考慮して、本件鑑定人に口頭鑑定を依頼したものであり、鑑定人もこれに応えて、予め準備した書面を読み上げる方法によることなく、口頭で、できる限りわかりやすい説明に努めたものであり、その結果、速記録上の一言一句をとらえてみると、やや正確性に欠ける表現も生じているが、それは、いずれも鑑定人の説明の趣旨を損なうものではない。われわれ法律家も、法律関係事項について他人の前で口頭で説明した場合には、その一言一句を速記してみると、正確性に欠ける表現をしていることは公知の事実であり、ひとり医師のみにそのような表現が何ひとつないことを期待すること自体、常識に反する。

原告らは、鑑定人の説明の一言一句をとらえて、鑑定人が訴訟記録を十分検討していないかのような主張をする(平成六年一一月二九日付け原告ら準備書面三)が、本件鑑定の経過及び本件鑑定の内容をみてみれば、そのような主張が理由がないことが明らかである。

4  鑑定人の意見に対する評価

以上のとおりであるから、原告広子の呼吸停止の原因について、うつ伏せ寝による気道閉塞ではなく、乳幼児突然死症候群(SIDS)の不全型(ALTE)であるとする鑑定人の鑑定の結果は、これを採用するのが相当である。

五  結論

以上のとおり、被告の過失及び被告病院の診療契約上の債務の不履行を認めるに足りる証拠はないから、その余の争点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

よって、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官森髙重久 裁判官古河謙一)

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